チャットモンチーが好き その1
更新日:7月24日
これから毎週金曜日に更新していこうと思っております。気楽にだらだらと書いていくのでね、肩の力を抜いて読んでください。いや、読まなくたって良いですね。リハビリみたいなものです。
本題ですが、チャットモンチーの『親知らず』という曲を知っていますか。僕はこの曲を初めて聴いた時からずっと大好きなんですが、何が好きって、僕には絶対に書けない歌詞だと思ったんですね。
今から書くことはものすごく抽象的かつ、突き詰めると少しシビアな話かも知れなくて、あまり真面目に受け取らないで欲しいんですけど。とりあえずつらつら行きます。
僕はこの『親知らず』という曲について、「自分の成長した身体の中に親を見つけてしまった」ものでもあると考えています。単純に寂しい卒業ソングじゃないんです。
親知らずって大人になってから生えるもので、文字通り親に知られないことに由来している思うんですけど、この曲においては自立を伝えてるものじゃなくて、むしろ自分が親と切り離せない、そういう血縁の呪いみたいなものを感じました。
僕(という男)が書く大人になるって、おそらく社会的な責任とか、仕事とか、父親になるというのもそうでしょうけど、すごく外因的な要素が前面に出てしまいます。
けど、この曲は内面的というか、あえて端的に言えば女になっていくということなんだろうけど、でもそれは性別的な役割じゃなくて、母の娘という身体そのものを指しているような血の生々しさがあります。
この曲の歌詞には、母性と子供らしさが両方存在していて、これは中途な娘のリアルで、女性だからこそ非常に自然な感覚を持って書かれていると思います。守られたいのに、守る側になっている、それが明確に説明されているわけじゃなく難しい言葉も使われていません。ただ温度感だけで聴き手にそれを伝えているような気がします。
血縁の呪いと最初に書きましたが、自分に起こりうる出来事というのは大抵終わりがあります。恋愛とか、青春とか、そういう類いのものです。けど、血縁は一生かけて死ぬまでまとわりつくものです。ただ、その関係性を保ったまま、小さく小さく変化していくものを、親知らずにかけて描いているからこの曲はどこか切ない感じがするのではないかと思います。
結局何が言いたいかというと、この曲は女性という身体性を持っていないとなかなか書けないものだと思うんです。親知らず、という言葉はそもそも親が存在しないと作れない言葉であるように、自分の体も親(母)と切っても切れない存在であるということを赤裸々に書いた歌ではないかと僕は思うわけであります。
初めて聴いた時、本当に女性的で美しく、可愛い歌だと思いました。それは自分には持ち得ない視点から生まれたものだから美しいと思ったんです。やっぱり好きな歌です。
歌詞ばっかり言ってきたけど、もちろん曲の構成もメロディーもそれはもう完璧です。僕もこんな歌詞が書きたくて書いた曲があるけど、世に出ることはあるのだろうかね。あと、「したのだよ」って語尾可愛いね。

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